日本社会は少子高齢化に耐えられるのか
- dad-k1
- 2017年6月12日
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少子高齢化が止まらない。
「この問題についてはもう数十年も前から始まっていたことなので、そのときから順次対策をしていれば、このような事態はならなかったのに......」と言うのは簡単だ。
現実は少子高齢化に対してそれほど悲観的ではない見方もあり、子育ては個人の問題とする社会風潮が多かったせいで十分な対策はやってこなかった。今でさえ、少子化は大した問題ではないという声も根強く残っている。しかし、昨今の人手不足からも分かるように、少しずつ社会運営が困難になることを思わせる兆しが出てきている。
問題が深刻化するまでは、抜本的な解決策が打たれることがほとんどないのが世の常だろう。国や自治体の少子化対策は後手にまわり続けて、少子化なのに待機児童が問題が発生するという一見すると奇妙なことまで起こっている。
だが少子化は国や自治体のせいだけではない。多くの民間企業もサービス残業を半ば強制して、子育てに理解を示そうとしなかった。そのせいでワンオペ育児を強いられることになり、二人目を諦めるケースが増えた。
この少子高齢化による人口減少問題が、さらに深刻化するとどうなるのか。社会は運営し続けるられるのだろうか。
この本当の答えはまだない。なぜなら今この国が直面している人口減少問題はかつて人類が経験したことがないことだからだ。戦争や疫病、飢饉で人類が激減することこれまであっても、少子高齢化での急激な人口減少は初めてだ。
戦争や疫病、飢饉は甚大な被害を及ぼし、生ける者の死に直面する悲しい出来事ではあるが、永久に続くわけではない。数年間で収束し、その後は再び人口増加もしくは一定を保ってきた。個々の生は蘇らないが、社会は徐々に活力を取り戻していく。
それと比較して少子高齢化に伴う人口減少は底が見えない。長期間常に人口が減り続けたことは近代化された世界では一度もない。
それなので、担い手がいなくなった社会がどのようなものになるのかよく分からないというのが正直なところだろう。全体的な経済のパイは縮小するが、一人当たりのGDPが変化しなければ生活水準はさほど変わらない気もする。経済力や自衛能力の縮小により、国際的なプレゼンスや防衛力は低下するかも知れないが、気にしなければよいという考え方もある。
物価にしても、人口が減少し消費が抑えられてデフレが進むというシナリオがあれば、労働力不足に伴って人件費が高騰し、インフレが進むというシナリオも考えられる。
ただし、これだけは言えることは、生産年齢人口(15歳-64歳)の割合が減り、老年人口(65歳~)が増えすぎると、いずれは社会を支えられなくなることだ。働き手が少なく、被扶養者が多い場合は扶養者(働き手)の負荷が大きい。経済面だけではなく、肉体的、時間的にも負荷がかかる。
年少人口も被扶養者であり、社会に負荷を与える側ではあるが、将来的に社会を支えることができる存在なので、年少者と高齢者を同列に考えるべきではない。年少者は負荷が増えても、将来性を見越して投資すべき対象である。
(高齢者を減らせというわけではない。高齢者人口割合を減らすべきだと言いたい。)
いずれ支えられなくなるであろう社会を、移民の受け入れで乗り切るのか、介護用ロボットの普及を待つのか、働く期間を大幅に伸ばすのか、社会が再び子供を受け入れるのか、どれかを選択しなければいけない。
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