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揺れている子育ての目標


「子育てとは、子供が自立するまでの手助けを行うこと。」

ある教育者の言葉だが、これに関して異論を唱えるものはそうはいないだろう。子どもは創造力など大人よりも優れている点はあるにせよ、社会常識や判断力が備わっていないために、成人するまでの間は保護者のもとで生活を共にする。

ただ問題は、どうすれば自立できるか、自立の仕方にも様々な状態があるのではないか、単に自立さえすればよいのか、という疑問だ。

最も簡単な方法としては、勉強に力を注ぎ、偏差値の高い大学を卒業し、大企業に就職することだ。勉強は地頭の良し悪しはあるにしても、やればやるほど成果がでやすいものなので、誰でもやりやすく再現性が高い。

そして偏差値の高い大学は、やはり大企業に入社しやすい。これは統計データをとるまでもなく、強い相関関係がみられる。わざわざやりたくもない受験勉強をするのは、その方がより大企業に入りやすくなるからだろう(大企業でなくても出版業など競争倍率が高い企業に入りやすくなる)。そうやってこれまで教育熱心な保護者は、勉強を重視してきた。

しかし、画一的だった日本社会も最近は少しずつ多様性がでてきた。これまでは高学歴を得て収入や福利厚生がよい大企業、または医者・弁護士など高度な専門職を目指すことが庶民でも努力で叶う成功の定義でもあった。

だが、時代は変化している。パソコンとアイデアと、少々の資金があれば、起業して株式上場を果たせば、一攫千金も夢ではなくなった。また、お金ではなく、社会問題の解決のためにソーシャルビジネスを立ち上げる若者増えてきた。都会を目指さずに、地元で地域密着型の自営業を行い、地元貢献する者も多い。

一方で、安泰と言われてきた大企業も倒産や吸収されたりする事例も増えてきている。医者も過労死寸前まで働かなくてはならない環境だったり、弁護士資格をとっても食べていけない者もいる。

このように社会に変化が生じ、これまで成功と言われてきた生き方が、必ずしもそうではなさそうだということに保護者も気がつき始めている。だけど、子育ての目標をどこに定めればよいのかがとても難しくなっている。

ただ、これまでの王道すなわち、(高学歴→大企業)という図式が全く無くなったかというとそうではない。大企業の業務には学校の勉強と親和性が高いものも多いからだ。だとしても、これまでのようにガムシャラに受験勉強だけをやれば、よいのかというとそれも違う気がする。

高い学力(情報処理能力)、駆動力(やる気)、企画力(アイデア)、リーダーシップ、コミュニケーション能力、語学力、協調性、道徳心など、多様化する社会に対応するために必要な能力は多数ある。そのどれも伸ばすことができればよいのだが、学力以外の伸ばし方がよく分からないというのが本音であろう。

保護者が悩むのも当然で、教育界もその教育手法を見出せていない。悩ましい問題だが、明確な答えはないので、模索し続けるしかない。案外、試行錯誤しながら模索する姿を見せることが一番よい子育て法かもしれない。

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