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日本社会が陥った、合成の誤謬(ごびゅう)


【合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)】・・・ミクロ(個々)が正しい行動を取った結果、マクロ(全体)では正しい結果とならないこと。

個人や会社は、ある程度合理的な判断をしながら生きている。しかし、それぞれが合理的で正しい行動を取った結果、全体としては非合理的で望まない結果になることは多々ある。

昨今の例でいうと、原油相場が合成の誤謬に陥っている。個々の国としては産出量を増やせば増やすほど利潤が増える。しかし増産国が増えるほど、需要と供給のバランスが変化し、値崩れを起こしてしまう。その結果、産出量は増えるものの単価が下がることで、利潤が減ってしまう状況となっている。

利潤を最適化するためには、産油国がそれぞれ産出量を調整し、全体としてほどよい供給量にすればよい。しかし、産出国はどうしても自国の利益を優先してしまう。

(非産油国にとっては原油が安く手に入るようになるのでよいのだが、あまりに急激に安くなり過ぎると産出国が危機的な状況に陥り、世界経済が混乱することもあり得る。何事もほどほどが重要だ。)

他にも様々な事象があるが、人口問題についても合成の誤謬が当てはまる。人口については、極端に増えたり減ったりすることは経済上、社会上望ましくない。急激に人口が増えると、学校の増設が間に合わないし、電車も満員状態が慢性化し、社会に不具合が生じる。逆に急激な人口減は経済活動の縮小や社会の担い手不足を招く。

現状はまだ緩やかだが、今後は急激に人口が減少していく時代に突入する。それにしても、社会全体として急激な人口減少は望ましくないと分かっていて、なぜ食い止めることができなのだろうか。それは、個々が合理的な行動を取った結果、全体として急激な少子化になってしまっているからであり、まさに典型的な合成の誤謬といえる。

個人としては、子育てから得られる満足感・愛情と、経済的・肉体的・精神的負担を比較した場合、後者の方が大きいと感じる人が多い。会社としては、社員が子育てすることは直接的な利益をもたらさないどころか、一時的に業務の代替要員が必要となるため、メリットがない。地域は地域で、公共空間に子どもが居ると騒がしいので排除したがる。

個人も、会社も、地域も、各々の都合で合理的な行動を選択した結果、少子化は進み続けている。社会全体の利潤を最大にするためには、個人も、会社も、地域も少しずつ負担を分かち合って、子どもを受け入れなければならない。

しかし、各々は、各々の利潤を最大化しようとするので、なかなか社会全体のことにまで意識がいかない。社会生活が崩壊したり、国家存亡の危機に陥るまでは、抜本的な解決は難しいのかもしれない。

しかし、明治維新により近代化することで欧米の植民地から逃れたし、焼け野原から復活を遂げたこの国は、追い込まれてから力を発揮してきた。社会が本気になれば、合成の誤謬は解決され、人口減少社会の危機を乗り越えることができる(と信じている)。

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