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子だくさんのお母さんに花束を!


子育ては楽ではない。子どもを産み育てることは、多大なリスクとコストがかかる。

妊婦のときは、つわりがひどく、まともに食べることもできずに、歩くこともままならず、日常生活にも支障を来たす人もいる。

出産においては、医学の発達により低くはなっているものの、妊産婦が死亡に至るケースもゼロではない。死亡しないまでも、身体に負担が掛かることは確かなので、体調を崩し、そのまま回復しない場合もある。

乳児期は、母乳(ミルク)をやり、オムツを換え、夜中には3時間おきに起こされる(ひどい時は一睡もできない)。寝かしつけのために疲労困ぱいの体にムチを打ち、赤ちゃんが眠りにつくまで揺らし続ける。

幼児期は、ご飯を食べさせ、絵本を読み聞かせ、ごっこ遊びに付き合い、抱っこをせがまれ、片付かない部屋を片付け続ける。

小学生になれば、宿題の手伝いをし、決して安くない習い事に通わせる。中・高校生になれば、部活の遠征に付き合うこともあるし、学習塾など、費用面でも負担も多くなる。大学に進学する場合はさらに多額の資金が必要になる。

子どもを一人育てるだけでも大変な労力と資金を費やす。それが3人、4人、5人となると、もうほとんど自分の時間など持てないだろう。最近は共働きをしないと老後資金を確保できなくなっているので、さらに時間がなく、日々に忙殺されている母親も多い。

子だくさんを望んだのは本人の自由意志なんで、しょうがない、別に子だくさんになることを強制したわけではないわけだし、苦労を選んだのは自己責任でしょっと、これまで社会はそう言い放ってきた。

しかし、子どもはやがて成長し、社会の担い手となる。子どもが成長したときの恩恵は母親にもあるだろうが(例えば、母の日のプレゼントとか)、社会のほうが大きい。地域を支え、経済を支え、次世代を育成する。

そう考えると、子だくさんは社会の担い手を必死になって育ててくれた、社会の恩人だ。現代社会は大きすぎて、それが非常に分かりづらくなっている。趣味に生きる自由人も、ベンチャー企業の経営者も、その生活を成り立たせるためには、当然だが多くの人が居る社会という器がなくてはならない。

社会が大きすぎて、その有難みが薄れてしまい、担い手を育ててくれた母親への畏敬の念を忘れてしまっている。忘れてしまったがために、育児費用のために老後資金を確保できすに、苦労している母親を見捨ててしまっている。

それを自己責任と切り捨ててしまえば、子どもは要らない、もしくは一人で十分ということになってしまう。偉大な母親には、老後の不安を取り除いたり、功労賞を授与してもよいのではなかろうか。

自分の人生を謳歌するために、独身でいたり、子を設けない夫婦を責める世の中は望ましくないが、子をたくさん設けた母親に対してはもっと賞賛を向けるべきだと思う。

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