保活に励む空しさ
- dad-k1
- 2017年4月30日
- 読了時間: 3分

保育園に入れない。働きたいのに働けない。
そして、「保育園落ちた、日本死ね」というおかしな日本語だが妙にインパクトのあるフレーズが話題となった。
少子化が問題視されるなか、保育園に入れない子どもが続出している。これを保育園を増やせばいいとか、これまで何で増やさなかったのかとか、保育園行政のせいにしたい気持ちはわかるが、そこまで単純な話でもない。なぜならこれは、少子化が保育園を足りなくするというパラドックスなのだから。
一昔前は育児は女性のものだった。実際に専業主婦が多かったわけだし、保育園に入らなければならない子どもはかわいそうだと言われていた。夫は給料さえ妻に手渡せば、あとは育児などせずに過ごしていたわけだし、妻は家電製品によって家事から若干解放され、自由時間を友人との交流に使った。それが当たり前の家族像だと多くの日本人は思っていた。
だがそれは日本という社会が形成されてから当たり前の状態だったわけではない。なぜなら戦前までは農業従事者が多く、女性も家事や育児をしながら農作業をやっていたからだ。それを考えると専業主婦世帯というのは高度経済成長時代につくられた日本女性の虚像ともいえる。
昭和50年代は専業主婦世帯の方が共働き世帯の約2倍もいた。その後、平成になってからは同じ割合となり、平成10年ごろから共働き世帯が専業主婦世帯を追い越す状態になっている。それは社会で活躍したいという女性が増えたこともあるが、決してそういう女性ばかりではない。
最近では高学歴の女性にまで専業主婦願望が高まっている。決して社会で活躍したくて働いているわけではない女性が数多くいる。それならば会社を辞めて専業主婦になればよいと思うが、そうしたくてもできない状況がある。
少子化によって、現役世代の社会保障負担が増え、自分たちの老後は自己責任と容易に言われてしまうご時勢だ。そうなると自分たちの生活を維持するために、妻も働きにでなければならない。その結果、幼子を保育園に預けざるを得ないが、その保育園が足りない。
つまり、少子化が原因で共働きを余儀なくされ、それが保育園を足りなくさせているということだ。もちろん保育園はそれを見越して作るべきだし、保育園行政に責任がないわけではないが、一方で増え続ける高齢者へのケアで年々支出が増えている状況もある。
また、自治体ごとに毎年毎年、未就学児がいる世帯に対し就労調査をやっていたわけではないので、予測と対応が後手に廻ってしまった点は否めない。
そして、潜在的なニーズも含めると圧倒的に足りなくなった保育園になんとか入れたいと、保護者たちは情報を集め、時には指数を上げるために偽装離婚までして保活を行う。
本当なら専業主婦になりたかったにも関わらず、本当ならまだ自分で保育をしたい時期にも関わらずに、解雇されることを恐れて保活(保育園入園のための活動)に励む空しさが、新米母親たちに二人目の壁となって立ち塞がっている。
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