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子宝って言ったのは誰だ(子どもは資産か負債か)

  • 執筆者の写真: dad-k1
    dad-k1
  • 2017年5月1日
  • 読了時間: 3分

子宝に恵まれる

非常に美しい言葉だと思う。子供は天からの授かり物というニュアンスが表現されているし、子供に対する崇拝と世代を越えて命を繋いでいる感じがとてもよい。

が、その表現とは裏腹に実社会では宝としての扱いは受けない。成熟した社会では子供は場の雰囲気が読めない厄介者であり、排除の対象となる。

また、社会から扱いもさることながら、育てる方の親にとっても経済面のみで考えると宝(=資産)ではなく、負債である。

多くの人が農業に従事していた頃は、現在のような機械を使用することもなく、簡単な道具と手作業だった。そして子どもも貴重な働き手として期待されていたし、自分が働けなくなった場合の将来リスクに備えて子どもを育てた面もあった。

つまり、昔は経済面で考えると負債ではなく資産であり、生計のリスクヘッジを可能とする存在だった。また、それ以外のメリット(家族がにぎやかになる。成長の楽しみ。幼児期のかわいさなど)があったので、合理的な選択として子育てがあった。

今でも中国の田舎の方では、一人っ子政策(最近は二人っ子政策)であるにも関わらずに戸籍のない子どもが多数存在する。社会保障制度が日本より充実していない中国では、多くの産んだほうがメリットが大きいと考える親が多い。

もちろん、子どもを設ける理由は経済面だけではないので、多くの夫婦が一人くらいは欲しいと思うのだが、それは子育てがしたいという本能的な欲求からくるものであろう。少なくとも、経済面で有利になるからではない。

そうなると、子どもが子宝だったのは昔だけだったと言わざるを得ない。今は、子宝どころか、もはや余裕がある人だけが楽しめる嗜好品なっている。

なぜそうなってしまったのか。

それは、業務の組織化、分業化が進み、仕事が非常にシステマティックになってしまったためだ。会社という大規模な組織で、それぞれの持ち回りの業務を責任を持ってこなしてるので、子どもに手伝わせる余地がない。そうなると親の仕事を手伝う戦力としては機能しない。

一方で、公立校への不安や、大学進学率の向上、英語教育の早期化などにより、教育費は上がっている。そうなると、子どもの数を絞り、資本を集中投下することこそが合理的な行動となる。実際に私立校に通っている子どもは一人っ子が多い。

合理的な判断をするまじめな親は、二人目は考えない。一人の我が子に対して惜しみなくコストをかける。決して見返りは期待せずに。

子宝って言われたのは今や昔の話である。

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