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"おもてなし"にも弊害がある

  • 執筆者の写真: dad-k1
    dad-k1
  • 2017年5月31日
  • 読了時間: 3分

「 O mo te na shi 」

2020年東京でオリンピックが開かれる。

そのオリンピック誘致の際、日本側の印象的なプレゼンに”おもてなし”のフレーズがあった。マスコミもこぞって日本のその道徳観を賞賛し、誇らしげに報道した。

おもてなしは確かに素晴らしい。日本の鉄道の時間は驚くほど正確だし、宅配も全国各地に正確にすばやく届く。かゆいところに手が届くそのサービスは、日本でよかったと思わせる力を持っている。

もしあなたが海外に行ったとしたら、相当の対価を支払わなければまともなサービスは受けれないと思った方がよい。安いホテルではアメニティグッズはほとんど期待できない。それを考えると、どこでもおもてなしを受けられることは素晴らしい、もし自分が客側の人間であれば。

だが、もし自分が働く側の人間であれば、海外の方がよい。日本のおもてなしは無償のサービスであるのが基本なので、対価に反映されない。そして客側もいつしかサービスが当たり前になり、そのサービスが受けれなかった場合にはクレームに変わる。誰もがお客さまは神様だと思い込んでいる。

そして、その無償おもてなしサービスは長時間労働の温床となる。おもてなしは中途半端なサービスでは感動につながらないので、時間をかける必要がある。そのためクレームを受けないよう、他社に負けないように、高いレベルでサービスを提供するために時間を費やす。それが社会人として当たり前だし、皆がやるべきだと信じている。

そうやって、24時間体制で顧客の満足度を高めるために、電話やメールが家庭にも進出し続ける状況に陥ってしまった。客側も、ライバル会社も、社内の周囲の人間もその過剰なまでのサービスを求めるあまり、その要求が自分に跳ね返ってくる。

一度社会がその状況に陥ってしまうと、一個人がそこから抜け出すことは非常に困難だ。自分だけサービスを提供しなければ怠惰と見なされる。おもてなし美学に反する行動を取る物は非国民の扱いを受けてしまう。

有給休暇が制度としてあるのに病気以外では使えない社会。プレミアムフライデーは役人の思いつきだとか政府をよく批判するけど、実際は政府に音頭をとってもらわないと有給すら取れない社会。

そのおもてなしの美学のもと、プレッシャーを受け、時には過労死にまで追い込まれる。父親は終電まで働き、さらに休日も働き、母親は退職の圧力を受け、ワンオペ育児を強いられる。

おもてなし自体は素晴らしいものだと思うが、それが働く側のQOL(生活の質)を著しく削ぐものであれば、それはやりすぎだ。出会いがなくなったり、夫婦がすれ違いの生活を送ったりして、それによって少子化が進み、持続的な社会運営ができなくなるのであれば考え直す必要があるだろう。

オリンピックでは、ぜひとも日本らしいおもてなしで海外の訪問者を迎えたいが、過度なおもてなしにも弊害があることは知っておかなければならない。

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