「不安な個人、立ちすくむ国家」の示唆するもの
- dad-k1
- 2017年6月25日
- 読了時間: 3分

「2025年には、団塊の世代の大半が75歳を超えている。それまでに高齢者が支えられる側から支える側へと転換するような社会を作り上げる必要がある。そこから逆算すると、この数年が勝負。
かつて、少子化を止めるためには、団塊ジュニアを対象に効果的な少子化対策を行う必要があったが今や彼らはすでに40歳を超えており、対策が後手に回りつつある。今回、高齢者が社会を支える側に回れるかは、日本が少子高齢化を克服できるかの最後のチャンス。
2度目の見逃し三振はもう許されない。」
仰々しい表題と、分かりやすい言葉で表現されたプレゼン資料が、経済産業省の若手職員が中心となり作成された。その若手の意気込みと、役所が作成したとは思えない親しみやすさからネットでも話題になり、行政資料としては異例の100万DLを越えている。
冒頭は、プレゼン資料の最後に記載されている文言だ。団塊ジュニアの少子化対策が後手に回ったことを「見逃し三振」と表現しているところがユニークだ。他にも、 「サラリーマンと専業主婦で定年後は年金暮らしという 昭和の人生すごろくのコンプリート率は、既に大幅に下がっている。 」「今後は、人生100年、二毛作三毛作が当たり前。」といった若手らしい言葉が印象的だ。
このプレゼン資料については、賛否があり、若手職員の意気込みが感じられるという評価がある一方で、学生が作った一般論をかき集めたレポートという意見もある。内容の是非はともあれ、若手職員のこれから訪れる日本の将来についての問題意識の高さが伺える。特に少子高齢化の対策の遅れに対して一石を投じたことは間違いない。
少子化については、「見逃し三振」という言葉のとおり、団塊世代に次ぐ人口のマス層である団塊ジュニア世代が、十分な少子化対策がされなかった結果、団塊ジュニアジュニア世代が形成されなかった。その彼らも40歳を迎えているので、これから少子化に歯止めがかることは、もはや期待できない。
一方で高齢化については、これから早急な対策の必要性を訴えている。現役世代が減り、高齢者が増え続けているので、これまでのように現役世代がそのまま高齢者を支えることが限界を迎えつつある。
それならばと、元気な高齢者には支える側に回ってもらうということを訴えている。これまでずっと働き続けて、まだ高齢者を働かせるのかというお叱りの声が当事者からあがってきそうだが、社会はその時々で流動的にその制度を変えていく必要があるので、やむ得ない。これ以上、現役世代や将来世代に負担を負わせるわけにはいかない。
このプレゼン資料は、論理展開が稚拙で、一般論のかき集めかも知れないが、今の社会システムの限界と、高齢者に偏重し過ぎている高受益低負担を変革していく必要性を示唆している。これまでもそのことは様々な識者から指摘されていたが、大きな声を上げてこなかった。それを若者、しかもお堅い行政が言い出したがことに価値がある。
若者が強い問題意識を持ち、社会を柔軟に変えていくことができれば、未来は決して暗いものではなくなるだろう。
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