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高度経済成長がつなげなかった「希望」

  • 執筆者の写真: dad-k1
    dad-k1
  • 2017年6月28日
  • 読了時間: 3分

第二次世界大戦で敗戦し、焦土化したこの国は、奇跡的な復興を成し遂げた。そして先進諸国に追いくまで期成長し続けた期間を、「高度成長期」と呼ぶ。

今となってはウソのような話だが、この国は世界で最も成長し、経済大国と呼ばれ、世界の注目を集めていた時期があった。昨日よりも今日、今日よりも明日という具合に生活水準が向上していった。数年前に映画「オールウェイズ 三丁目の夕日」がヒットしたこともあり、昭和30年代から40年代にかけては、古き良き時代というような印象を持つ人も多いだろう。

実際は今とは違い、スマホもないし、テレビも映りが悪かったし、公害なんかも多かったし、交通事故死亡者が多いは、体罰は多いはで、そんなよい状況だったとは思えない。それでもその時代にノスタルジーを求めるのは、明日は良くなるという希望があったからだ。

作家の村上龍氏は「この国には何でもある。ただ、希望だけがない。」と言っているし、若手社会学者の古市氏も「絶望の国の幸福な若者たち」と表現している。言い方は違えど、そちらも同じことをいっている。

なぜ、経済成長を成し遂げ豊かになったこの国に、希望がないのか。

それはバブル崩壊後の日本が全く経済成長が出来ずに、世界を席巻したメイドインジャパンが今やアップル社製品に置き換わり、世界をリードできなくなったからだ。厳密にはバブル期までも、全ての分野をリードしていたわけではないが、それでも世界に対するプレゼンスがあり、今の中国のような存在だった。

経済成長の原動力となる内需は、自動車やマイホームなど国内の消費だ。自動車やマイホームなど高価な物は、数か多いほど経済効果が大きい。しかし、少子化に伴い、それらを買う世帯が減り、経済にはマイナスの影響がでている。

経済は国内消費が全てではないが、貿易関連も円高の影響や、米国のスーパー301条などでの日本製品締め出しもあり、国内消費の落ち込みをカバーすることはできなかった。

米国からの対外的な圧力に対しては、軍事的な依存がある以上、やむを得ない部分もあるが、国内消費については完全に社会が見誤った。政府も、民間も高度経済成長の恩恵があったので、労働時間については無頓着になり、家庭生活を疎かにし過ぎた。その結果、少子化が進行し、消費を活発にする世帯が減少した。

最近でこそ働き方改革を掲げて、なんとか消費と少子化を是正したいという施策が増えてきているが、高度経済成長当時は少子化などは問題視されていなかっただろう。

高度経済成長は、戦後復興を果たし、物質的に豊かな生活を送り、先進国の一員となるために必要なステップであった。だが、少子化の兆しにいち早く気がつき、有効な対策が打たれていたら、経済が停滞期に移行することはなく、今でも世界に誇れる希望のある国だったかも知れない。

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