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アリとキリギリスと、冬の食べ物 ~年金の話~

  • 執筆者の写真: dad-k1
    dad-k1
  • 2017年4月17日
  • 読了時間: 4分

最近の若者はあまり見栄を張らない。自分が学生の頃はほとんどの女子学生がルイ・ヴィトンやエルメスのバッグを持っていたが、今の学生ではほとんど見かけない。派手目の若い女性でもハイブランドは身に着けていない。

ここ20年ほどで社会はすっかりデフレに対応しきってしまった。高い物ほど売れたバブル期は異常すぎて比較にならないとしても、最近はブランド品どころか中古やシェアといった極力支出が少なくて済むようにする若者が増えた。

それは決して悪いことではなく、見栄を張らないのは若者が現在の環境に適応しているという見方もできる。だが、今後起こりうる社会問題に対応するためには、そのような消費行動に変化してしまった背景を押さえておく必要がある。

不況がデフォルト状態で、将来にも大して期待していない。アリとキリギリスの話ではないが、キリギリスのように人生を謳歌してしまうと冬が訪れたときに一気にその反動を受けてしまう。そうならないように冬に備えよう。

まともな若者はそう考える。そして消費行動を変化させた。冬になって食べられなくなったら困るから。どうせ冬になっても誰も食べ物を与えてくれないだろう。今までは採ってきた食べ物を年長者に分け与えていたが、自分が年長者になった時にもらえないのなら与えるのはやめよう。だって損をしたくないから。

そうして若者は年金を支払わなくなる。実際に、現在の国民年金の未納率は約4割と非常に多い。受益と負担を考えるとそうすることが正しいようにも思える。もちろん国民年金は、加入と保険料の支払いは義務であるので、法律的には正しくない。と、いくら正論を言っても未納者が多いのも現実だ。では未納者は合理的な行動といえるのか。

年金制度が崩壊するなどとマスコミは大げさに騒ぎたてる。確かに少子高齢化が進行するほど年金制度は変化せざるを得ない。現状の制度のままではいつか破綻してしまうのではと考えるのは無理もない。

ただ、だからといって年金制度が崩壊し、今まで支払った分が全てなくなるかというとそれはないだろう。もしそのような事態が起こるとすれば、明治維新級の革命や、戦後の混乱期に暴力的に財産税をかけたときと同じような混乱状況であるときだ。変化をしながらも現在の延長線上に未来があるとすれば、さすがに極論と言わざるを得ない。

もちろん支える側の将来世代が少なくなっていて、支えられる高齢者が増えている現状では、今の高齢者と同じ額の給付を受けるわけではないが、少なくともゼロにはならない。20年~30年後に年金の積立金が枯渇するという試算がされているが、仮にそのような事態になった場合でも、おそらく今度は税金から補填される。

年金制度は支払った人にしか給付されないが、税金はそれとは関係なく徴収される。ただ、税金は今でも足りておらず、国債に頼っている。膨れ上がる社会保障費と比例するように国債の残高も増え続けているから、これ以上借金で賄うことは不可能という主張もあるが、年金制度が完全に崩壊してしまうと、今度は生活保護受給者が急増するので、政府もなんとか制度を維持しようとするだろう。

国債が破綻するかしないかは、また別の論点して議論の余地はあるが、それでも国債を発行するなどして年金制度を維持したほうが政府にとっても国民にとっても都合がよい。 

そうなると合理的な行動とは、保険料を支払わないことではなく、むしろもらいそびれのないようにきちんと支払うことだ。損をしないように極論を信じきってしまうと、実は損をしてしまうことになる。

年金制度をはじめとして社会保障の仕組みそのものに納得がいかない人も多いだろうが、若者はただでさえ受益よりも負担の多い社会を生きなければならないのだから、せめて社会の仕組みを理解し、合理的な行動をとるように心がけてほしい。

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