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消えない不安。消せない閉塞感。

  • 執筆者の写真: dad-k1
    dad-k1
  • 2017年4月19日
  • 読了時間: 3分

「宵越しの銭は持たない」

江戸っ子(下町の町人)が吐き捨てるその言葉から分かるように、かつての江戸っ子は今の日本人とはずいぶん気質が違っていたようだ。宵越しとは、次の日まで持ち越すこと、つまり、貯蓄などせずに今日稼いだ金は全て今日中に使ってしまうことを意味している。

江戸っ子がそのような考えを持っていた理由については諸説あるようだが、そもそも銀行がなくて預けることもできなかったし、火事も多かったから自宅にも貯められなかった。そもそも貯められなかったという説もある。それでも江戸っ子は生活できたのはなぜだろうか。

それは、ビジネスでもプライベートでも地域とのつながりが濃厚だったためであろう。どういうことかと言うと、現在社会と異なり大規模な会社組織は存在しなかったから、今でいう会社員はおらずにほとんどが自営業であった。また今のような通信手段や移動手段がなかったために、ご近所さん相手に商売を営んでいた。そうなると公私共々家族ぐるみの付き合いが多くなる。

地域全体で家族ぐるみの付き合いになると、「共助」を受けやすい。今でいう生活保護や年金制度、健康保険制度はなかったために、「公助」は期待できない。貯蓄もないから「自助」もできない。しかし最後の砦となる地域からの「共助」が機能していたため、江戸っ子は宵越しの銭を持たなくてもよかったのではないかと推測される。

一方、現代社会では、労働者のほとんどが会社員となっており、下町の町人とは状況が異なる。通信手段と交通手段の発達により、職場と住居が大きく分離された。そのために、地域との関わりが薄くなってしまった。それでも社会保障制度が十分に機能していれば、いざというときに「公助」を受けられるし、貯蓄が豊富にあれば「自助」ができる。

少なくとも「公助」か「自助」が機能していれば「共助」は必須ではないので、地域のつながりが薄くても問題にはならない。だが少子高齢化の進行のために、「公助」が十分でなくなってきた。ゼロではないが、あまり当てにならない。

かといって今さら地域とのつながりを取り戻すのも難しい。そうなると最後は「自助」を強化するために貯蓄に励みたいが、社会保障制度の負担が大きいのでうまくいかない。宵しの金を持ちたいが持てない。

また、少子高齢化とともに膨らみ続ける国の借金と、停滞する経済状況が続いているので、将来の見通しの改善の兆しは一向に見えない。

そうなるといよいよ将来に対する不安な気持ちがいっぱいになる。その不安な気持ちの集合体が蔓延る閉塞感となっているのが、現在の日本社会。

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