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自己責任論が陥る「囚人のジレンマ」

  • 執筆者の写真: dad-k1
    dad-k1
  • 2017年4月24日
  • 読了時間: 3分

今ここに、ある犯罪を犯した2人の共犯者がいるとする。それぞれは連絡を取り合う手段がなく、刑期は自白によって決められる。

・自白した方の刑期は1年、黙秘をした方の刑期は10年となる。

・どちらも黙秘した場合はそれぞれの刑期は2年ずつとなる。

・どちらも自白した場合はそれぞれの刑期は4年ずつとなる。

2人の刑期の合計を考えると、どちらも自白しなかった場合が最も合理的な選択となる(2年+2年=4年)。しかし、自分が自白しなかったせずに、もう一人が自白した場合は自分の刑期は10年となる....それは避けたい。

そして、結局それぞれが個人の刑期を短くするために自白してしまい、結局お互いの刑期は4年ずつ(合計は4年+4年=8年)となったとさ。

これが、経営学に登場する、ゲーム理論の「囚人のジレンマ」だ。つまりは、個人が合理的だと思う選択をとった場合、全体としては不合理な結果となってしまうことの例えだ。

育児についても同じことが言える。育児支援を行うということは会社にとっては負担となる。育児のために一時的に職場から離れることになるので、その穴を誰かが埋めることになるからだ。仕事を割り振られた同僚にとっては迷惑な話であるし、利益を追求したい会社にとっては直接的な利益をもたらさない社員を抱えることとなる。ひとつの職場で考えると、確かに不利益なことでしかない。

また、電車を快適に乗りたいと考えている人にとっては、ぐずる子連れは迷惑でしかない。子連れはとっとと降りて欲しいし、電車に乗るべきではないということになる。だから咳払いをして迷惑していることをアピールする。

こういった職場や電車から子連れを排除すべきという考えは、個別では最適なことではあるが、皆が同様の行動をとった場合、社会全体では最適な結果とはならない。なぜかというと、もし社会から邪魔者扱いを受け続け、離職を余儀なくされ、電車にも乗れず、子育て費用がかさみ、社会保障も受けられなければ、ますます子どもを産まない社会となる。

そうなると、人口減少は加速し、国内市場は縮小し、会社は儲からなくなるし、廃線となる電車も出てきて日常生活もままならなくなる。結局は、社会全体としての損失が大きくなる。これはまさに、「囚人のジレンマ」に陥っている。

でもそれは、食うか食われるかの世界の現実が分かっていない空論だ、と会社経営者はいうだろう。だが、子連れを完全に排除してしまえば、いずれ社会が成り立たなくなることも現実だ。短期的、自己中心的な見方ばかりしていては、中長期的には経営に影響する。

とはいえ、自分の会社ばかりが子育て支援を行えば、自分たちだけが損をすると考えてしまうことも事実だ。そうならないように会社にも子連れを雇った場合のインセンティブを与えることが重要だ。

ただし、そのためにはコストがかかり、それについてはやはり社会全体で負担しなければならないことも付け加えておく。

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