二人目の壁
- dad-k1
- 2017年4月30日
- 読了時間: 3分

「子どもは一人は欲しかった。でも二人目なると.....また育休とって職場に迷惑かけたくないし、出産費用やオムツ、ミルク代も結構かかるしなぁ。習い事だってさせてあげたいし。大学も行かせないとだめかなぁ。あ~、いくらあってもお金が足りない。そういえば、保育園だってなかなか入れなかったし、認可に入るためにわざわざ無認可保育所に預けてポイント稼いだっけ。お金かかったし、苦労したなぁ。PTAとかも大変そうだし、やっぱり子どもは一人でいいかな。」
二人目の壁が存在する。そもそも晩婚化で以前より多子は難しい面もあるが、それ以上に経済面や保育園の問題などで二人目を躊躇することが多い。何も一人っ子が悪いわけではない。問題なのは、制度や経済支援のなさから諦めてしまうことだ。
子育ては楽ではない。それは昔から変わりない。ではなぜ昔の人は多子だったのか。それは乳幼児の死亡率が高かったことが一つ。
もう一つは、子どもは生計の戦力として期待されていたからだ。ほとんどの場合、親の仕事場が住居に隣接していたので、子どもが親の手伝いをすることも多かった。そして現代ほど、貨幣経済が発達していなかったために、貨幣で貯蓄ということが一般的ではなかった。
一方で現代社会では子どもは基本的には親に対し、経済支援を行わない。年金暮らしの親に仕送りをしたりするケースもあるだろうが、少なくとも親が子どもにかけた分は戻ってこない。また年金制度があるので子どもが自分の親の経済的支援をするというより、高齢者全般を支える制度になっている。
その状況の中で合理的な選択としては、子どもにかける費用を全て貯蓄に回すことだ。そうすれば自分の老後は安心する。他人の子どもが支えてくれるので年金だってもらえる。そうなると一人目はともかく、二人目はハードルが上がる。三人目や四人目などほとんど考えられない。
少子化の原因はいくつかの複合要因であるが、本当は二人以上欲しいと思っているのに主に経済的理由により諦めてしまい、結果として少子化に結びついていることは非常に残念だ。
貨幣経済の発展と、年金制度の登場により、受益と負担のバランスが大きく変わった。、本来ならばそれを修正すべきであったが、さほど変わることはなかった。
一時期は独身税なども検討されたが、それは女性の産まない権利上、問題があるということで立ち消えた。それならば、消費税などで公平な負担をした上で、育児に対して手厚い保障をすればよいのだが、消費税にアレルギー反応を示す国民の声に敏感な為政者は、正しいとは思っていてもなかなか踏み込めなかった。
そして二人目の壁は未だに大きくそびえたっている。
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