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「社畜」という言葉の破壊力

  • 執筆者の写真: dad-k1
    dad-k1
  • 2017年5月10日
  • 読了時間: 3分

言葉は力を持つ。言葉はシンプルで、インパクトがあり、意味が分かりやすいものほど訴求力が高い。

「社畜」

いつ頃か若い人を中心に流行りだしたその言葉は、これまでの労働意識を変革し、社会を変えるほどの力、破壊力を持っているのかもしれない。

戦後の焼け野原から高度経済成長を経てバブル経済、そしてバブル崩壊後の日本社会は一貫して労働を美徳としてきた。私利私欲を忘れ、とにかくまじめに働きなさい、とそう教えられてきた。

しかしその言葉は資本家が労働者を搾取するために作られた幻想だとしたらどうだろう。

資本家や経営者にとっては、スペックの高い労働力をできるだけ安く使用することが利益を出す上で重要である。市場原理からするとスペックの高い労働力を安価な賃金で雇うことはできない。しかし、言葉は力を持つ。「労働は美徳」というスローガンで労働者を囲い込み、長時間労働を強いることも可能である。

もちろん革命家が目指す理想的な社会などあるわけもなく、現実は格差と不公平で満ち溢れている。資本主義を選択している時点でそれを受け入れなければならない。社会主義・共産主義についてもどこかの国ではないが、一族によって国家が私物化されている状況を考えると、まだ資本主義の方がましに思える。

そして格差と不公平を前提とした資本主義であっても、持続可能であればそれでもよい。だが、行き過ぎた労働環境からくる少子化、そして人口減少は社会の持続性を危うくしている。

この国の時間外労働は統計上の数字でみるよりもはるかに深刻だ。最近でこそコンプライアンスという言葉の名の下にサービス残業は減ってきているのだろうが、これまではサービス残業もまた美徳となっていた。残業代を請求することは卑しいことだと。

資本家・経営者からしてみるとこれほど望ましいことはない。サービス残業が美徳と思い込んでいる労働者が長時間、自分たちのために働いてくれ、それが利潤をもたらす。しかも幹部すらその事実に気づかずに、労働は社会人なら当然と言わんばかりの常識を部下に浸透させてくれる。

そして、その長時間労働が社会全体を脆弱なものにしてしまう。長時間労働は子育てを母親たちに押し付ける結果となり、押し付けられた母親は多くの子どもを望まなくなった。それが人口減少の原因となり、社会が少しずつ縮小し、やがてこの国の経済や文化はなくなってしまう。 

だからこそ「社畜」という言葉は異彩を放つ。長時間労働やサービス残業の美徳感を破壊し、実は資本家や経営者から搾取されていただけだったという現実を突きつける。

幹部だろうが、エリートだろうが、しょせんは単なる労働者なのだから、まずは自分も社畜であることを認識し、適正な労働の対価を求めることができる社会になれば、残業は減る方向に進む。長時間労働は決して効率のよい働き方ではないので、利潤を追求する資本家や経営者は賃金を払ってまで残業をさせたくない。そうすると長時間労働が緩和され、子育てしやすい環境ができる。

もちろん余暇ができればすぐに少子化が改善されるほど単純なメカニズムではないが、それでも改善に向けたベクトルとなる。

「社畜」、「ブラック企業」などの人間らしい生活を取り戻すための新たな言葉は、社会を変える可能性を秘めている。

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