我慢が足りないのは、子どもではなく大人。
- dad-k1
- 2017年7月13日
- 読了時間: 3分

電車、飛行機、図書館、デパート....
k
赤ちゃんや小さい子どもにはどうしても不向きな場所がある。しかも、困ったことに、そこはどうしても利用しなくてはならない場所だったりもする。
一般的に公共空間といわれている場所は極力静かにしなければならない。都市部に行くほど、その傾向が強まる。なぜなら、その場に居合わせる人の密度が高く、おのずと大人の人数が増えるからだ。大人の人数が増えるとどうなるのか。大人は静かな空間を望む。高齢になるほどその傾向は高まるだろう。
最近では、待機児童問題が深刻化し、国や自治体もなんとか保育園を増設しようと躍起になっているが、なかなか進まない。その原因はそもそも保育園が作れるだけの土地がすぐには見つからないことがある。そしてやっと見つかったとしても、子どもの声がうるさいという理由で反対される。
駅前に土地を確保することは困難なので、住宅地が候補地となる。しかし、住宅地は特に高齢者の住民が多く、静かな空間を望むために、保育園は迷惑施設だと考えられている。長年生きた知恵のある大人は、表立っては子どもの声を理由にしないが、道路が狭いとか、保護者がたむろするとかいろんな箇所に難癖をつけては建設させないように仕向ける。
いつの時代も、どこの場所においても社会においては、集団の力がものをいう。この国はシルバー民主主義と揶揄されるくらいに、高齢者が優遇されている。高齢福祉には多額の税金が投入されているが、子どもに対しては保護者が現役世代ということもあり、わずかな手当てを除けばほとんど優遇はない。
今後も子どもが減り続け、大人(特に高齢者)が増え続ける。店の4人掛けのテーブル席はほとんどなくなり、2人掛け、もしくはカウンタータイプが増えてくるだろう。一般的なレストランも、高級レストランのように子どもの入店を拒む店が出てくるかもしれない。
少し子どもが騒いだだけでも、しつけがなっていないだの、注意する大人がいなくなっただの、昔は違っただの言われるに違いない。
昔も今も未来も、赤ちゃんや子どもは変わりない。変わるのは、そこにある常識だけだ。その常識は、大人が増えれば増えるほど、静かな空間が求めれるように変化していく。大人が多すぎる社会は、清潔で静かで洗練されるが、その代償として、赤ちゃんや子どもの居場所がなくなっていく。少数派は多数派に駆逐される。
赤ちゃんや小さい子どもや、その親をマナー違反だとか目くじらを立てたり、責めるのではなく、多少の遊びや許容を持って、もっと寛容になることが、子どもを育てやすさにつながる。それが出来なければ、持続可能な社会を実現することは不可能だろう。
我慢が足りないのは、子どもではなく、大人だ。
Comments