人口減少社会の一因となっている大学の必要性
- dad-k1
- 2017年5月17日
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触れてはいけない不都合な現実がある。
大学という存在が人口減少社会の一因となっている。
大学進学率は戦後ほぼ一貫して上がり続け、4年制大学と短期大学を合わせると50%を越えた。元々は大卒=エリートと思われていたが、最近では2人に1人が大卒という状況であるので、決してエリートという扱いは受けないだろう。
それでも多くの親は子供に大学に通わせたがる。世間体とか、見栄なんかもあるとは思うが、社会制度からいっても大学に行くことはマイナスではない。個人にとっては合理的な選択だ。なぜならほとんどの大企業は大学卒業を採用の条件にしているからだ。
そのような背景があるので、レジャーランドと言われようが、就職予備校と言われようが、学費が高かろうが、とにかく大学に行かせる。そして場合によっては浪人したり、短期留学したり、留年したりして大学を卒業する年齢が高くなっている。
その結果、初めて就職する年齢が高くなっているし、就職しても3年以内に3割が辞めてしまう。そうこうしているうちにアラサーになって慌てて婚活に励んだりする。
そうして初婚年齢は、男性:31.1歳、女性:29.4歳となった。
第1子出生時の母親の平均年齢は、1975年時は25.7歳だったのが、2015年時では30.7歳となり、40年の間に5歳も年齢が上がってしまった。
卵子の老化を考慮した妊娠適齢期は35歳(出産年齢のボリュームゾーンは40歳)までと考えると、たったの5年間しかない。日々の業務をこなしていると5年なんてあっという間に過ぎてしまう。
もし、大学に行く目的が、行くことが常識になっているからだとか、就職の面で有利に働くからということであれば、それは社会がそれを誘導していることになる。
大学が高度な知識得られる高等機関であり、社会に活用されてよりよい生活ができているのであれば問題ない。出産年齢が上がろうが、より多くの者が大学進学をした方が社会にとって有益なのだから。
しかし、現実はそうなっているだろうか。大学四年生よりも高校三年生の受験生の方が知識や判断力が優れているのではなかろうか。そうであれば、大学は本来の役割を果たしていないし、ただポテンシャル能力の証明のために4年間も費やすことは社会にとっては不利益なことである。もっとも本人は遊べていいかもしれないが。
また、大学進学には相当の費用を要する。ましては都市部では中学受験が一般的となっており、大学卒業までに10年近く多額の費用を支払い続けることになる。そのために家計とのバランスを考えて、子どもの数を制限している家庭も多い。
もちろん現代は知識社会であるので、全ての大学、学部が不必要なわけではない。だが、皆が行くからとりあえず進学するという理由で行くような大学は社会の利益を損ねている。
つまり少子化問題という観点からみると大学という存在は、①出産年齢を引き上げる ②多額の学費負担による子ども数の制限 という2つのマイナス影響を及ぼす。
子どもの可能性とか、選べる自由とか、大学関係者の雇用のためとか、乱立する大学の存在意義はいろいろ理由はあるのだろうが、プラス面と、マイナス面を比較した場合、どちらが社会にとって有益かを考えなければならない。
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